親父はなんのために生きるのか

最近は、職場だけでなく、家庭でも怒られることが増え、自分の存在意義がよく分からなくなってきています。
人間は、悩みのタネが一つだけなら、そう簡単に精神を病まないそうです。
しかし、それが2つに増えると一気にダメージがくるそうです。自分の心が心配です。

今まで怒られてこなかったから。挫折をしてこなかったから。苦しんでこなかったから。
今が辛いのだと。
過去は変えられない。それを取り返せと言われても、周回遅れ感がやる気を奪っていく。
30才を越えて、10周遅れの努力マラソンを走り出す気にはならない。というか走り方がわからない。誰も教えてくれない。
努力をしてこなかったツケが回ってきたんだな。

家庭なんか俺が持てるものではなかったか。
努力していない人間は、人の人生まで背負うものじゃないな。その資格がない。

でも、もう戻れない。
これまでも、これからも選ぶのは自分だ。

若いときの苦労は買ってでもしろという言葉がある。俺はまだ若いのだろうか。今がその時なのか。

絶望することがある。
涙が出てくることもある。
大声を出して暴れたくなることがある。

でも耐える。

できるヤツから見たら俺は子供だ。
人の指摘を素直に受け入れられない。
何が悪いのかわからない。
そんなことどうだっていいだろと思う。
普通の人はそれを成長の糧とするという。
俺にはできない。

頭の回転が悪くてどんくさいポンコツだ。
誰も誉めてくれない。

だけどさ、
毎日仕事行って、怒られながら働いて、サラリーをもらって、理不尽な寂しさに耐えてる。

大人だよな。
尊敬もされない。カッコよくもない。
でも、世間の親父ってそんなもんじゃねえのか。
誰か俺を誉めてくれ。
お前はちゃんと大人だって、お父さんだって誉めてくれ。
生きてる意味がようわからん。


健康ビジネスで起業して、一山当ててぇな...

灯火のような人

とある占い師曰く、
俺は「灯火のような人」なんだそうです。
明るい状態だと役に立たないけど、
暗くなって初めて有り難みがわかるとのこと。

基本的には、占いはあまり信じないけど、
今の俺にとっては救いのある言葉だ。
自分にとってプラスなことは信じた方がいい。

自分のいいところを考えるなんて、
馬鹿馬鹿しいってさ。

そうだな。
夫であり、父親であり、家族がいれば
替えが効かない存在なんだよな。
良いとか悪いとかじゃないんだよな。

前、向けるかなぁ。

今日はたくさんの人が憂鬱なのだろう

世の中はGW最終日。
午後9:00を回った。
10連休明けの憂鬱さは、自分とは比較にならないだろう。だからと言ってなんの救いにもならないが。

仕事が楽しくない。
今までも楽しくはなかった。
でも、会社に行くことがものすごく嫌になることもなかった。
今は辛い。
10年勤めておいて今さらではあるが、儲けたいという気持ちがなさすぎるから、利益を出すことへの興味がわかないのだろう。
それを今、求められている。
利益を追及しなければならない。
しかしそのモチベーションが湧かない。
だから辛い。

ルーチンワークだけで完結する仕事に転職したい。
向上心のいらない仕事に転職したい。
マルチタスクの必要ない仕事に転職したい。

事実上の敗北宣言はしてるんだけどな。
まぁ逃げる布石を打ってあるだけでだいぶ精神的にはマシだけど。

限界の2歩手前で行動しないと危ない

気が付いたら4月も中ごろ。世間では新社会人がもう入社して実務に入る頃だろうか。

自分の仕事も3月末に新店舗のオープンを迎えて三週間経ち、

少しずつ落ち着いてきてはいる。

 

自分の上司は完璧主義、常に仕事に完璧を求める。

そして、直属の部下である自分にも、それを求める。

 

自分は、それについていけない。

仕事の内容が上司の求めるレベルに達していなければ叱責される。

自分の能力不足が原因なのはわかっている。

しかし、常に複数の仕事を同時進行で行うことや、今まで求められてこなかった

業務上の知識・経験を要求され、限界が近いと感じる。

 

その日、些細なことでまた叱責され、ついに

「自分、もう無理です。新店舗の担当から、外してください」

ということを上司に話した。

 

上司よりも先に店長やら本部スタッフなどに説得され、とりあえず現状維持となった。

 

業務内容そのものは変わらない。

新しいお店というのは忙しいのが当たり前だからだ。

 

①自分が辛かったのは、自分に求められる仕事のレベルが高すぎること。

それができなかった場合の叱責、時には嫌味、恫喝。

 

②残業しないと業務が終わらない。しかし残業すると店長に怒られる。

しかし上司の指示をこなそうとすると終わらない。帰れない。

上司の指示が細かい上に次から次に増えていくからだ。

しかし店長は、上司に向かって自分を早く帰らせるようには言わない。

両者の板挟み状態。

 

③休日にも電話がかかってくる。内容はさほど緊急性のない質問か、

先日の業務内容の不備に関する叱責。

 

自分の気持ちを正直に話したことで、自分の評価は下がったであろう。

しかし、自分が限界を感じていることを伝えたことによって、

求められるレベルが少し下がるはず。

叱責する側の人間はよく言う。「何も言われなくなったら、おしまいだぞ」

もう、自分はおしまいでもいい。改善なんか求めないでくれというのが本音だ。

心身ともに疲れがたまり、前を向く気力が湧いてこないのだ。

 

今日も、休日に電話が上司からかかってきたが、出るのをやめた。

夕方、3回目の電話がなったあと、LINEが来た。

上司にとっては大事なことなのかもしれなかったが、自分にとっては緊急の内容だとは思えなかった。最初からLINEで良い内容ではなかったか?

 

やはり、休日に上司から電話がかかってくるというのは、精神衛生上よろしくない。

ましてや、内容が9割バッドニュースだとわかっているならなおさらだ。

もう、スマホの着信はサイレントにしてしまった。バイブも鳴らさない。

休日にスマホが震えるたびに怯えるのはもう嫌なんだ。

これで休日に電話に出ないことを咎められたら、また自分の気持ちを話そう。

 

誰かが言ってた。

「取って食われるわけじゃないんだから」

別に殺されるわけじゃない。

みっともなくても、相手に失望されても、誰かに笑われても、

自分の身は自分で守らなくてはならない。

 

一番怖いのは、自分の身を守ったり、

逃げる気力が完全に失われてしまうことだと思う。

 

実は自分の親戚にも、自ら命を絶ってしまった人がいる。

2,3回しか話をしたことはなかったが、立派な家を建てて、家族もいた。

その知らせを聞いた時、自分は独身だった。

当時は、どうして何もかもを捨てて逃げ出してしまわなかったのだろうと思った。

 

今なら、逃げられなかった理由がわかる気がする。

 

家族というものは、かけがえのないものだ。

それ故に、重い。

家族に迷惑をかけてしまうことが許容されないのであれば、

失踪するか、最悪の手段をとるしかない。

 

 

限界の1歩手前だともう動けない。

限界の2歩手前。

ストレスの対象を憎む気持ち、怒りの気持ちが残っているうちに何かしよう。

逆ギレとかでもいいと思う。

追いつめられる人って、理論武装とかできないし、

タイミングをみて発言するのもきっと苦手。真面目だけど空気が読めないから。

 

休日に最低限の家事、買い物すらできなくなる前に。体が動かなくなる前に。

「まだいける」の状態でストレスの根源に少しでもジャブを打とう。

引っ越しから3週間

自分の単身の引っ越し、妻と息子の新居への引っ越しをして3週間が経った。

やっとお互いの生活リズムができてきた感じか。

しかし向こうは実家を出て、3歳の息子と朝から晩まで一緒である。

船橋でも息子が幼稚園に入るまではそうであったが、今はそれに加えて庭の手入れ

という仕事が増え、かなり大変そうである。

家も大きくなったが、今のところ1Fと、2Fの洗濯物を干すバルコニーしか

使っていないので、掃除がどうこうという話は出てこないが・・・

まぁ、仕事が終わっても俺が毎日家に帰ってくるということがなくなったので、

ちゃんとした夕食を用意しなければならない、という仕事が減ったはずである。

船橋にいるときからたびたびそういう話をされていたので、俺が夜のわずかな時間

家事などを手伝ったりできなくなったことを差し引いても楽になったのだろうか?

 

俺も、今日という日を迎えるまで、休日はなにかしらやらなければならないことに

追われていた。といっても細かい手続きや買い物だが、やはり新しい生活を

始める際には何かと物入りだ。向こうももちろんそうなのだが。

向こうでは庭用の石だとか除草剤だとか、予備のタイヤなどを入れる物置など、

人生において一戸建てで暮らしたことのない俺にとっては未知の買い物だ。

そういうことにピンとこない俺を見て妻がイライラしてるのはあるかもしれない。

 

ご近所付き合いの密度も比較にならないのはわかる。これから妻と息子は

ずっとこの土地に住み続けるのだ。町内会の行事もあるだろう。

 

 

だから、「どちらが大変か」ということは単純比較できない。

そういう話になると間違いなく険悪になる。それはどんな夫婦でもそうだろう。

今まで、病気だったりしてややこしい大変さだったのが、

息子と二人きりで家庭を運営する妻・孤独と闘いながら独り身で働き続ける夫

という、よくある夫婦の話になった。

 

ここからは本当に、表に出せない愚痴になっていくが・・・

果たして、世間では一般的にどちらが大変とされるのか。

「大変」さで考えれば確実に妻のほうだろう。

息子はわんぱく坊主である。目を離すと何をするかわからない。

突然夜泣きしたりすることもある。ご飯もなかなかちゃんと食べてくれない。

言葉でコミュニケーションが取れるようになったとはいえ、それ故に反抗することも

増えてきた。それも成長の証ではあるのだが。

 

しかしながら、俺のほうが「辛い」。

三歳の息子と離れて暮らす。それ以上に父親にとって辛いことがあるのだろうか。

本音を言えば、もうそれだけで他の大変なアレコレは帳消しにしてもらっても

いいんじゃないかと思ってしまう。

向こうからすれば、独り身は気楽でいいわよね、と思うのかもしれない。

しかし、家を買うと決めてから初めて自由になった今日、

寂しさが身に染みる。

俺がローンを組んで買った家も、車も、今のところ俺自身が使う予定は

あまりない。車はまだ使うかもしれないが。

自分の家なのに日帰りで帰らなければならないのは辛い。

息子はどう感じているのだろうか。

自分の感情を押し殺すことを三歳にしてもう身に着け始めているのが、

ありがたくもあり、悲しくもある。

「しごといかないで」といくら言っても家を出て行ってしまう父親の背中を

彼はどういう気持ちで見つめているのだろうか。

 

31歳になり、涙腺が弱くなった。

息子につられて俺も泣くようになった。この文章を書いているだけで涙が出てきた。

 

今は、顔を合わせるたびに喧嘩をしてしまうので、帰ってくるのは週に一度に

してくれと頼まれた。

なんてひどい話なんだと思ったが、また喧嘩してしまった。

確かに今は少し距離を置くべきなんだろう。

時が経てば、また状況が変わるだろう。

 

俺の住む町のいいところは、夜中でも家系ラーメンを食べられるところだ。

ラーメンにニンニクを入れて、明日も頑張ろう。

もうすぐ引っ越し

この一か月、家を購入~引っ越しの準備が忙しすぎて休みの日が全部潰れている。

まぁしかし、家を買うのは勢いがないとできないからやむを得ないと考える。

 

ところで、世の中には最初は「やる」と言っていたのに、結局「やらない」人がいる。

私も無自覚なだけでそうなのかもしれないが。

ふと気になってなぜそうなるのか調べてみた。

とある記事がものすごく腑に落ちたので書き残しておく。

 

本能は「変わる」ことを恐れる。

ホメオスタシス(現状維持装置)というものが人間には備わっているそうだ。

 

行動できない人はなぜか「自分は行動できる」と思っている

やりたくないことを気合で何とかしようとする

しかしできない、そして疲れる

「意思のエネルギー効率」が悪い

あぁ~絶対このタイプだ。うん。

 

何事も慎重に完璧にやりたい。

失敗したくない。

これはまぁそうだろうな。

「とりあえずやってみる」っていうのがないんだよね。

 

もっとも感銘を受けた(?)のが、これ。

『「やり方」を甘くみないで、人に説明できるレベルでどういう行動を

とったらいいのかを洗い出すこと』

 

その通りだよね。

「やり方」を実際行動するレベルでシミュレーションし、必要ならば紙に書いて

アウトプットするぐらいじゃないと体を動かすところまで至らないと思う。

これは会社からの指示にも言えること。

具体性に欠ける計画では結局何もできないのだ。

 

そして、

「考える」ことが日常行為的な人は「紙に書いて整理する」ことをしない

アウトプット、超重要!!

 

そしてこれは私に良くあてはまる・・・

「問題が起きたら行動しよう」

Oh・・・ワタクシまさにこれ。

これに関しては個人的に

問題が起きていないうちは力を蓄えるためにあえてなにもしないのだ!!

と、自己正当化しておく。

 

出典

MERISE:行動できない人に死ぬほど伝えたい13の原因&改善策

 

自分が疑問に思っていることがあるけどそれがフワフワしているとき、

それがドンピシャで言語化されているとすごく嬉しい。

ネットって素晴らしい。

近況 7月下旬

妻が帰省して一ヶ月が経った。
先日、一ヶ月ぶりに妻と顔を合わせた。
近況報告と、家を買う相談だ。
やはり、地元に戻ったことによる精神の安定は
何にも変えがたいもののようで、自覚症状は
だいぶ良くなったようだ。
妻と話していても、病気になる前と
変わらない感じがした。

生まれ育った土地に定住すること、
息子の転園、転校を心配しなくて良いこと、
友人が近くにいること、
勤め先も安定させられることなど。

それらによる生活の安定は安心を生む。
妻の症状もじきに良くなるだろう。

俺がこれからのサラリーマン人生において、
ほとんどを単身赴任で過ごすことになりそうだが、
帰る家と家族がいて、その上で
気楽な一人暮らしができると考えれば
そんなに悪いものでもないかなと思う。

息子の成長を身近でずっと見ていられないこと
だけが残念だが、たまに会うぐらいが
ちょうどいいのかもしれない。