俺もカウンセリングを受けてみた

今日は、妻が通っていた精神科に行って、
カウンセリングを受けてきた。

俺の考えていること、訴えたいこと、言いたいこと、全てお見通し…
下手な占い師より精神科の先生ってのはすごいんだな。妻が逆に通院が怖くなるのも何となくわかる。

とりあえず

・俺は悪くない(間違っていないとは言っていない)
・距離を置くことは正解
・共倒れが一番マズイ
・今の状態では何を言っても悪い方向に捉える(認知の歪み)
・俺もストレスを抱えるぐらいならできないことはできないと主張する
・今は、不幸を盾に周りを従わせようとしている
・妻は守られているが俺は守られていないことが辛いということ

...話した内容はそんなところだろうか。
全てを妻に伝えると恐らく悪い影響が出るだろう。

またなにかあったら相談しよう。

こんな気持ちなのかな

先日、妻が帰省し、最低でも9月まで滞在する。
俺の言動が大きなストレスになるとのことで、
しばらく距離を置くことになった。

昨日は、久々に丸一日フリーの日となった。
宅急便を送ったりなどの雑務はあったが。

気力も体力もなかったので、一日家にいることに
した。誰とも話さないので嫌でも考え事をしてしまう。

息子のおもちゃ、幼稚園で作った作品などが視界に入る。『離婚』の二文字がチラチラと頭をよぎる。
テレビでは妻と死別した男のゴミ屋敷を片付けている。

…たしかにこの感じは良くない。
悪いことばかり考えるようになってしまう。
妻にとっては、毎日6時間がこの嫌な時間となるわけだ。
ゲームや、ドラマを見て気をまぎらわすのも限度がある。
かといって外で遊び呆けるほどの時間も金もない。

なにか心配事を抱えながら一人でいることは
辛いことなのだということを身を持って感じた。

とりあえず、妻も通院した精神科に予約を取った。
何かが変わることを願って。

…変えなくてはならないことはわかってる。
でも、俺だって疲れたのだ。
だから「変わることを願う」とあまり前向きではない感じになってしまった。

妻も疲れているはずだ。
だから「変えていこう!」という気持ちには
なれないのであろう。
相手が変わってくれることを願ってしまう。
でもそれは、お互いに叶わぬ夢。

お互いが自分を変えなくてはならない。
できるのだろうか。

どうやっても

人は、完全に他人のことを
理解することはできない。
理解しようとする努力をすることはできても、
完全には理解できないし、その通りに行動することもできない。人間には感情の限界があるからだ。

なぜ、人に多くを求めるのか。
願いが叶わないのは全て人のせいなのか。
自分が悪いわけでも、他人が悪いわけでもなく、
できないということは一定数あるのだ。

できる見込みのないことを相談することは、時間の無駄だと思い、なおかつ残酷なことだと思うのだ。
せめて可能性が少しでも高まってから相談したいのだが、それは受け入れてもらえないようだ。
自分がされて一番嫌なことは、期待を裏切られることだ。そのような人は自分以外にもたくさんいることだろうと思う。
だから、必要以上の期待はしたくないのだ。されたくもないのだ。
でも、それが希望になるなら。
期待というものが薬になるのであれば。
自分の根っこを曲げなくてはならないのだろうか。
きっとそれは客観的に見れば良い選択なのだが、
その状態で自分の精神を保つ自信がないというのが
正直なところだ。

カッコよく言えば己と向き合うということ

先日、妻に付き添って精神科に行ってきた。
回復傾向にあるのでとりあえずは良しとする。

妻がプレッシャーを感じる根底には、
「やらなきゃ」と常に追い詰められている心理状態がある。
誰かに怒られるわけではない。
誰かに責められるわけでもない。
端から見ればそんなこと後回しでいいだろう。
面倒なら手を抜けばいいだろう。

でも、妻の中にはそれを邪魔する何かがいるのだ。

精神科の先生は言っていた。
「やらなきゃ」を「やりたい」に変えていくのだと。

…難題である。

人のことは変えられない。
だから自分で変えるしかない。

私は自分を変えようと思ったことがない。
悪いところもたくさんあるが、
自分が好きだからである。

そんな私の頑なさが妻を
傷つけてしまったのかもしれない。
それでも私は自分を変えるつもりはない。
そうやって自分を守らなければ
今度は自分が傷ついて倒れるからである。

妻は自己評価が低い。
なのにプライドは高い。

幼い頃から誰かに馬鹿にされてきた。
でも勉強などの努力で結果を出してきた。
努力が妻の盾だった。そして誇りだった。
努力しないことは盾を捨てることに
他ならないのだ。

私は運動は苦手だし、
勉強も飛び抜けてできるほうではなかった。
顔がいいわけでもない。

ただ、運が良かったのはなにかを全力で
演じれば誰かが笑ってくれることを
幼い頃から知る機会に恵まれたことだ。

舞台で何かを演じて
誰かが笑ってくれることが
自分のアイデンティティだった。
なにより楽しかった。


自分に価値がないと思い込むのは
悲しいことだ。

最終的にパニック障害を克服するには
自分を好きにならねばならないのだろう。

とりあえず今の辛いこと

とりあえず、今しんどいのは、
家事の主導権をポイっと私に渡されてしまったことです。

妻はお医者さまから、「今はやりたくないことはしなくていい」と
言われています。
一般的にパニック障害というのは、パニック発作
不安障害(だっけかな)が主な症状となるのですが、
妻はやりたくないと思っていることをするとドキドキするようです。
ドキドキ(動悸)はパニック発作に直結するので恐怖なのです。

妻は、根がめんどくさがりやです。
だから基本的には家事はストレスになるようです。

家事そのものはそこまで負担ではないようですが、
家事が「たまっていくこと」がプレッシャーになるようです。

今までは妻が主に家事を行い(妻は専業主婦です)、私は
休みの日にときどき家事を手伝う、そんなよくある役割分担でした。

それが突然、逆転したのです。

朝は「基本的に」私が息子と共に起床し、トイレに付き添ったり
ご飯の準備をしたり、保湿クリームを塗ってあげたり、幼稚園の
制服の準備をしたりします。
・・・通勤前にね。

私が休みのときは、
私が「基本的に」洗濯して、朝昼晩の食事を用意し、
息子をお風呂に入れ、洗濯物を取り込み、たたむ。

・・・やってみてまだ一週間ぐらいしか経っていないのですが、
これらのことを全て「自分がやらなくちゃ」と思いながらやるのは
かなりのプレッシャーです。

家事がたまっていっても、それを後で処理するのは結局自分。
息子のご飯も用意しないわけにはいきません。
息子は俗に言う「魔の3歳児」素直には言うことを聞きません。

大変です・・・。
よく育児ブログなんかで言われてるのはこれなんだなと。
妻が見かねて「洗濯物たたむのはあとでいいよ」と言ってくれますが、
結局自分がやるのかと思うと滅入ってきます。
(妻の調子がよければやってくれるのですが)

「心の主導権」とでもいうのでしょうか。
これを真の意味で分担することはとても難しいことだと
思いますね・・・

妻がパニック障害になりました

最近、妻が「寂しくて仕方がない」「不安でしょうがない」「なにもしていないのに泣きたくなる」
ということを言い出しました。
元々、妻は寂しがり屋なので、息子が幼稚園に入園したことで、家に一人でいることが寂しくなったのだろう、慣れれば収まるだろう。
・・・そう考えていました。

しかし、ある時「胸がドキドキして苦しい」と、
妻がうずくまって動けなくなってしまいました。

・・・情けない話ですが、私にはどうすればよいのか
わかりませんでした。
その直前に妻に冷たくあしらわれて泣いている息子の
頭をなでながら、恐怖に怯え、混乱して泣いている妻をしばらく
呆然と眺めていました。

結局、「疲れがたまりすぎているんだろう」と考え、
以前にも何度かそうしたようにお義母さんに迎えに来てもらい、
それでもダメなら帰省してもらおう。
少なくとも義実家にはお義母さんだけでなく、
お義父さんと、義弟くんがいる。
話し相手が増えれば気が紛れるだろう。
暴れん坊の息子の相手を平日の日中、たった一人で
しなくても済む。
今まで、帰省したら元気な顔をして家に戻ってきた。
今回もそれで大丈夫だろうと思っていた。

幸いにも、お義母さんは翌日迎えに来てくれるとのことだったので
私は仕事に行き、ほどなくしてお義母さんが家についたとの妻から連絡があった。

妻は、ふいにドキドキして苦しくなってしまう症状に対し、
心療内科などの受診を考えていたようで、お義母さんにも勧められ、
口コミで評価の高かった精神科医に電話し、症状を話したところ
「すぐに来なさい!」と言われたとのことで、その日のうちに受診した。

そこで妻は「パニック障害」の診断を受けたのである。


このblogはパニック障害の人を励ましたり、治療の手助けを
しようとするものではありません。
そういうことはお医者さんにお任せしましょう。
心の病を民間療法に頼ってはいけません。

パニック障害は辛い病気だと思います。
しかしながら、支える人間も楽なものではありません。
「今のところ」私は支える方の立場です。
このblogは私の気持ちを吐き出し、
少しでも支えることに対してのストレスに立ち向かうための
手段でしかないことを最初に書いておきます。